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四九番、「御垣守 衛士の焚く火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思え」は、皇居警護の歌。老教諭は、燃える恋の歌と説きました

アロアロヨシさんの♪百人一首ブログ その5/100首

小倉百人一首の四九

大中臣能宣朝臣 (おおなかとみのよしのぶあそん) [1] の詠まれる

大中臣能宣朝臣
千絵崇石絵 恋篝り (こいかがり) Bonfires [2]

「御垣守 衛士の焚く火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思え」 [3]

(みかきもり えじのたくひの よるはもえ ひるはきえつつ ものをこそおもえ)


歌の意味は、こうです、、、

「皇居の御門を守る衛士の焚く火が夜は燃えて昼は消えるように、自分は恋のために夜は情火に心を焦がし、昼は消え入るばかりに思い沈んでは、物思いをすることだ」 [4]


老教師は、炎の恋を熱く語りました

アロアロヨシさんの高校時代、古典を教えてくれる先生は、3人いました
1人目は、例の鼻つまりの先生、もう1人が、まだ出てきてないタバコ好きな先生、そして、今回の痩身の老教諭

痩身の老教諭は、小さくて力のない声で、講義を始めました

男子生徒は、ほとんど聞いてなくて、ザワザワとしゃべっていて、よけい聞こえないので、アロアロヨシさんも、あまり注目して聞いてませんでした

途切れ途切れに聞こえてくる講義を、友人と私語をしながら聞いていると、「御垣守・・・」の歌になり、老教諭は、1人の女生徒を指して、解釈をしてくださいと言いました

その女生徒は、成績が良いほうで、みんなが一斉に注目した中で、流石に、すらすらと、解釈をしたのです

女生徒・・・「宮中警護の衛士たちの焚くかがり火が、夜は燃えて、昼は消えて、何かを思っている」です
老教諭・・・「何を思っているのですか?」
女生徒・・・「分かりません。エエーっと、警護のこととか、田舎のこととかではないんですか」

老教諭は、語りだしました。。。

「この歌は、警護の歌ではなくて、恋の歌なんですよ
しかも夜は、二人で激しく燃えて、昼は物思いに沈んで、恋人のことを思っているんです
かがり火は、その喩(たと)えなんですよ」と

ななっ、なんとなんと、「夜は燃え」の部分を、「二人で激しく燃えた」と解釈したのです

意味の分かった、その女生徒は、顔を赤らめておりました
ほかの女生徒はといえば、恥ずかしそうにしている子、キョトンとしている子、まちまちでした

男子生徒は、ほとんど聞いてなくて、聞いててもピンと来なくて、また、私語に戻っていきました

そんな、教室のちぐはぐな雰囲気が、当時のアロアロヨシさんには、理解不能でした
かなり、オクテだったものですから

思春期の高校生は、早生奥手 (わせおくて)、まちまちの感受性の1シーンでした

その後、女性を深く知るようになってから、その意味が分かるようになり、忘れられない、百人一首の思い出の1つとなりました

百人一首49御垣守
任天堂のカルタに、他との相違を、見つけてしまいました、赤丸部分

「夜は燃え」のところ、「夜は燃え」になっていました
字余りなので、間違いではないかと思いますが、天下の任天堂さん、何か別の出典があるのでしょうか

事情を知っている方、ご連絡ください


江戸時代の狂歌

江戸時代には、小倉百人一首の全てに、替歌 (パロディ) が創作されました

「みかきもり 火事のたく火の 夜は燃えて 昼も燃えつつ 物をこそ思へ」
鸚鵡籠中記 (おうむろうちゅうき)・落首抄 [5]

宝永五年 (1708年) 三月の大火で、京都御所をはじめ、神社仏閣、民家など、1万4千軒が焼失しました
他に、「これやこの 行くも帰るも 焼け出され しるもしらぬも丸焼けの京」などの落首もあります

脚注:
[1] 大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)
正暦二年 (921年~991年) 没71才
祭主、正四位下、「後選和歌集」を撰し、梨壺の五人と言われた、三十六歌仙の一人
大中臣能宣朝臣 -Wikipedia

[2] 出典:「歌仙絵 百人一首」千絵崇石著
千絵崇石画伯により描かれた、百枚の歌人の絵に、日本語と英語で題名が付けられ、歌の解釈、歌人親子関係、歌人年表が付録、表紙カバーが美しく装丁された、愛蔵版、百人一首の本です

歌仙絵_百人一首

こちらから購入できます → 百人一首絵 説明と解釈ホームページ

[3] 「詞花和歌集」巻七恋

[4] 出典「百人一首の探求」中島悦次著 有朋堂

[5] 元禄時代、尾張徳川家家臣、「朝日重章」の日記
鸚鵡籠中記 - Wikipedia

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七〇番、「さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮」、秋の夕暮は、いつも、背中合わせの二人なのです

アロアロヨシさんの♪百人一首ブログ その4/100首

小倉百人一首の七〇

良暹法師 (りょうぜんほうし) [1] の詠まれる

七十番
千絵崇石絵 秋の宴(あきのうたげ)Twilight in Autumn [2]


「さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮」 [3]

(さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづこもおなじ あきのゆうぐれ)

「秋の夕暮」が、入っている歌は、もう一つありましたね

2015年11月17日アップのブログ
「むら雨の 露もまだ干ぬ 真木の葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ」は、むすめふさほせ、1枚札の1番目

今回の良暹法師の歌は、一枚札「むすめふさほせ」の、5番目です

1. む: むらさめの・・・きりたちのぼる
2. す: すみのえの・・・ゆめのかよひぢ
3. め: めぐりあひて・・くもがくれにし
4. ふ: ふくからに・・・むべやまかぜを
5. さ: さびしさに・・・いづこもおなじ
6. ほ: ほととぎす・・・ただありあけの
7. せ: せをはやみ・・・われてもすえに

歌の意味は、こうです、、、

「あまり寂しいので、庵を立ち出で、ながめわたすと、どこも変わらず寂しい秋の夕暮であるな」 [4]

百人一首70さびしさに

たいへん意味のとりやすい歌ですが、そういう歌は、かえって、解釈がふくらんで、いろいろな意味にとれるものです

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アロアロヨシさんの♪なるほど別解釈
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ほとんどの訳が、「寂しい秋の夕暮れであるなあ」としていますが、下の句には、寂しいという言葉は、入っていません

「さびしさに・・・」
寂しいのは、一人住まいの庵のことで、その庵を出て、ながめたら、秋の夕暮の景色が、眼前に広がっていたという意味なのです

晩年まで、修業を積んでいた、当時の比叡山は、全国から大勢の修行僧が集まって、たいへん賑やかでした

その比叡山を出て、大原の自然の中に、ひとりで庵を構えたのです

確かに、庵の暮らしは、寂しかったのでしょう

「・・・宿を立ち出でて ながむれば・・・」
ところが、外へ出てみると、一面が秋一色

青空高く、雲がたなびき、紅葉で山々が赤と黄色に色づき、夕焼けにカラスが「三つ四つ、二つ三つ」、虫たちの求愛の声、田畑には秋の実り、そこには、大自然の生命が躍動していたのです

「・・・いづこも同じ 秋の夕暮」
大原も、京都も、比叡山の景色も、みな同じ、このように、躍動感にあふれた、秋の夕暮でした


アロアロヨシさんは、これが実感ですが、家内は、「秋の夕暮は寂しいから、いやだ」と言っています

「百人一首の探求」訳、「どこも変わらず寂しい秋の夕暮」の世界ですね

ですから、秋の夕暮れには、いつも、背中合わせの二人なのです

2015年9月18日のブログも、ご覧ください
「秋の日は釣瓶落とし (あきのひはつるべおとし)」、もう来週は、秋分ですね


江戸時代の狂歌

江戸時代には、小倉百人一首の全てに、替歌 (パロディ) が創作されました

「さびしさに 書物取り出で ながむれば 昔も同じ 秋の夕暮」
永田貞柳 [5]

意味:「あまり寂しいので、本を出して読んでみた、昔の人も同じく、読書した、秋の夕暮なんだなあ」、秋の夜長は昔も今も、読書の秋ということでしょうか


脚注:
[1] 良暹法師(りょうぜんほうし)
生没年不詳
比叡山延暦寺の僧侶で、祇園別当となり、その後、大原に隠棲、晩年は雲林院に住んだといわれている

[2] 出典:「歌仙絵 百人一首」千絵崇石著
千絵崇石画伯により描かれた、百枚の歌人の絵に、日本語と英語で題名が付けられ、歌の解釈、歌人親子関係、歌人年表が付録、表紙カバーが美しく装丁された、愛蔵版、百人一首の本です

歌仙絵_百人一首

こちらから購入できます → 百人一首絵 説明と解釈ホームページ

[3] 「後拾遺和歌集」巻四 秋歌の上333

[4] 出典「百人一首の探求」中島悦次著 有朋堂

[5] 「永田貞柳 (ていりゅう)」は、百人一首を全て替え歌で詠んだ、江戸時代、大阪の狂歌師、「鯛屋貞柳」とも号す

八七番、「むら雨の 露もまだ干ぬ 真木の葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ」は、むすめふさほせ、1枚札の1番目

アロアロヨシさんの♪百人一首ブログ その3/100首

小倉百人一首の八七

寂蓮法師 (じゃくれんほうし) [1] の詠まれる

寂蓮法師


「むら雨の 露もまだ干ぬ 真木の葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮」 [2]

(むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに きりたちのぼる あきのゆうぐれ)


高校一年生のある日、、、

突然、坊主めくりばかりやっていたアロアロヨシさんが、百人一首カルタに、目覚めました

アロアロヨシさんが、本当に、百人一首に目覚めたのは、高校一年の時、カルタの好きな女の子に、出会ってからでした

それは、加代ちゃんという、同級生の、おさげ髪の女の子で、

メガネをかけて、特別に顔が可愛いというわけではないのですが、仕草がなんとなく好感が持てて、ツッコミなどの反応の早い、英語クラブ所属で、英語の発音がメチャきれいな、女の子でした

冬休みも近い教室、正月の遊びで、カルタの話が出て、なんと、加代ちゃんは、百人一首カルタが得意だということでした

今は歯医者になっている、友人Sと二人で、正月に加代ちゃん宅へ行って、カルタ取りに挑戦しようということになりました

まだ、少々日にちがあったので、やり方を、お袋に、再レクチャーしてもらい、トレーニングを始めました

そのトレーニング法は、テープレコーダーに和歌を吹き込んで、聞きながら、上の句が終わらないうちに、下の句を言うというものでした

最初は、下の句が出てこないと、答えられなかったものが、上の句を聞くとすぐに、下の句が出てくるようになりました

そこで、試しに、自分の家では、お袋、兄貴や近所の遊び仲間と、友人の家では、Sとその姉妹とで、「散らし取り」の、カルタ取りをしてみました

テープレコーダーの特訓は功を奏し、連戦連勝でとても気分が良く、正月が楽しみとなったのでした

加代ちゃん宅でのカルタ取り

とうとう、その時がやってきて、
アロアロヨシさんと、友人S、加代ちゃんと、その親戚の子、競技者4人

読み手が、加代ちゃんのお袋さんだったかお姉さんだったか、今となっては、忘れてしまいました

最初は、「散らし取り」でやりました
成績は、アロアロヨシさんと加代ちゃんが同じくらい、その次が親戚の子、ビリがSの順でした

次に、加代ちゃんの提案で、より本格的な競技、源平戦をやろうということになって、そのやり方を、教えてもらいました


源平戦」のやり方は、こうです、

まず、競技者が二組に分かれ、50枚ずつを持ち札とし、それぞれの持ち札を、自分たちのほうへ向けて、三段に並べます

勝つコツ: 並べる時に、自分たちには分かるけれども、相手には分からない順序で並べるのが、1つのコツですが、でたらめに並べておいて、全ての位置を記憶するのも手です (記憶力の問題ですが)

また、自分の陣地の札の位置は、好きなように並べ替えることができます

競技は、読み手に、歌を詠んでもらい、競技者が、字札を取り合うのは、「散らし取り」と同じなのです

違うのは、相手の陣地の札を取ったら、自分の持ち札を1枚相手に渡し、自分の陣地の札を、相手に取られたら、相手から1枚受け取ります

こうして、札を取っていき、自分の陣地の札が早く無くなった方が、勝ちとなります

そして、完敗、、、

加代ちゃん達のチームワークは、とても鋭く、アロアロヨシさんとSのチームワークは、ガタガタで、あれよあれよという間に、負け続けました

帰り際に、百人一首カルタに強くなるノウハウを、いろいろと教えてもらいました

その1つが、「むすめふさほせ」でした

上の句の最初の一文字が、一枚しかない札を、一枚札と言い、「むすめふさほせ」の、7枚であるということでした

む: むらさめの・・・きりたちのぼる
す: すみのえの・・・ゆめのかよひぢ
め: めぐりあひて・・くもがくれにし
ふ: ふくからに・・・むべやまかぜを
さ: さびしさに・・・いづこもおなじ
ほ: ほととぎす・・・ただありあけの
せ: せをはやみ・・・われてもすえに

これらは、最初の一字を読んだだけで、決まってしまうもので、「一字決まり」と言います

この名人の段階には、到達せず、アロアロヨシさんのプチ恋は、受験勉強で時間を取られ、いつともなく、終了してしまいました


歌の意味は、こうです、、、

「夕立のしずくの露もまだかわかない真木の葉に、霧が立ちのぼる秋の夕方の景色よ」 [2]

百人一首87むら雨の




江戸時代の狂歌

江戸時代には、小倉百人一首の全てに、替歌 (パロディ) が創作されました

「洗濯の まだのりの干ぬ 単物に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ」
夢中楽輔 [3]

意味:秋の日は釣瓶落とし、一重 (着物) の糊が、まだ乾かぬうちに、暮れてきてしまった、取り込もうか、まだ早いか、ここが思案のしどころ


脚注:
[1] 寂蓮法師(じゃくれんほうし)
西暦1139~1202年
俗名:藤原定長 (ふじわらさだなが)

[2] 出典「百人一首の探求」中島悦次著 有朋堂

[3] 「狂歌才蔵集」巻四


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tag : 源平戦

十番、「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」は、「坊主めくり」のジョーカー、蝉丸の歌

アロアロヨシさんの♪百人一首ブログ その2/100首

小倉百人一首の十

蝉丸 (せみまる) [1] の詠まれる

蝉丸

「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」 [2]

(これやこの いくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき)


アロアロヨシさんの子供の頃、カルタといえば、少年雑誌正月号の付録、漫画や相撲取りのキャラクターもので、遊んでいました

百人一首カルタは、「坊主めくり」しか、やりませんでした

「坊主めくり」の遊び方は、

絵札のみを選び、これを裏返しにして、中央に積みます

あとはもう、上から順にめくって行くだけで、出てきた札によって、次のようになります

男性 (54枚) が出てきたら、そのままもらい、次の人の番へ
女性 (お姫様の札、19枚) が出てきたら、もう1回引けます
坊主 (僧侶の札、14枚) が出てきたら、手持ち札を、全部捨てる
天皇 (ひな壇の札、10枚) が出てきたら、捨て札を全部もらえる
弓矢 (弓を持った札、2枚) が出てきたら、めくる順番を逆にする

ところが、、、
蝉丸 (1枚) の札だけ、扱いが違うのです、ジョーカーなのです

蝉丸をめくった人以外の人は、全ての手持ち札を、捨てなくてはいけません

ここで、大逆転が起こり、次に天皇を引いた人が、捨て札を、全部もらえます

積んだ札が無くなったら終了で、手持ちの札が一番多い人が、勝ちとなります

以上は、アロアロヨシさんの場合で、地方によって、仲間によって、いろんなルールがあり、やり方が異なります

新たに、その場だけのルールを作って遊ぶのも、面白いと思いですよ

百人一首の深遠な世界に入る、最初のとっかかりとして、坊主めくりで、子供たちに興味をもたせては、いかがでしょうか

アロアロヨシさんが、百人一首の中で、一番最初に覚えたのは、ジョーカー・蝉丸の、この歌でした


和歌の意味は、こうです、、、

「これがまあ即ち京から地方へ行く者も地方から京へ帰る者も別れ別れしては、互いに知る者も知らない者も逢うという、逢坂の関なのだな」 [2]

百人一首10蝉丸


「散らし取り」の遊び方は、

ある日、坊主めくりばかりやっている、アロアロヨシさんに業を煮やしたお袋が、本当の遊び方を教えてくれました

いやあ、びっくりしましたねえ、お袋が、「こんな風に遊ぶんだよ」と、教えてくれたカルタ取り

広げるのが、なんと、絵札ではなく、字のみの札でした

字札なんか使ったことがなくて、気にもしていませんでしたが、なんと、そこには、途中からの歌 (下の句) しか入ってなかったのです

教えてくれたのは、「散らし取り」という遊び方で、字札を全てバラバラに、表向きに置いて、お袋が読み手になり、字札に書いてある歌を読んだ時に、それを取るというものでした

これです!
散らし取り


字札を取るという、遊びが、子供心につまらないと思い、それ以来、高校一年になるまで、やることはありませんでした


♪ 江戸時代の狂歌 ♪

江戸時代には、小倉百人一首の全てに、沢山の替歌 (パロディ) が創作されました

そのうちの1つ

「これやこの 行くも帰るも 忘れては 何にも知らぬ 大酒の過ぎ」 [3]

解説: 大酒飲みなら、経験あり

目が覚めたら、、、
①自分の家で寝ていた
②友人の家で寝ていた
③知らない女の家で寝ていた (これ、最悪)

あなたは、どの経験がありますか?

「どこをどう帰ったやら、とんと分らぬ」なんてね


脚注:
[1] 蝉丸(せみまる)
平安時代初期の人、詳細不詳、琵琶の名手
京都市山科区と滋賀県大津市の境、逢坂山に庵を構えた
現在、名神高速道路「蝉丸トンネル」として、その名称が残る

[2] 出典: 「百人一首の探求」中島悦次著 有朋堂

[3] 出典: 「百人一首地口 (じぐち) 絵手本」 嘉永五年(1852年)刊


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