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十番、「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」は、「坊主めくり」のジョーカー、蝉丸の歌

アロアロヨシさんの♪百人一首ブログ その2/100首

小倉百人一首の十

蝉丸 (せみまる) [1] の詠まれる

蝉丸

「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」 [2]

(これやこの いくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき)


アロアロヨシさんの子供の頃、カルタといえば、少年雑誌正月号の付録、漫画や相撲取りのキャラクターもので、遊んでいました

百人一首カルタは、「坊主めくり」しか、やりませんでした

「坊主めくり」の遊び方は、

絵札のみを選び、これを裏返しにして、中央に積みます

あとはもう、上から順にめくって行くだけで、出てきた札によって、次のようになります

男性 (54枚) が出てきたら、そのままもらい、次の人の番へ
女性 (お姫様の札、19枚) が出てきたら、もう1回引けます
坊主 (僧侶の札、14枚) が出てきたら、手持ち札を、全部捨てる
天皇 (ひな壇の札、10枚) が出てきたら、捨て札を全部もらえる
弓矢 (弓を持った札、2枚) が出てきたら、めくる順番を逆にする

ところが、、、
蝉丸 (1枚) の札だけ、扱いが違うのです、ジョーカーなのです

蝉丸をめくった人以外の人は、全ての手持ち札を、捨てなくてはいけません

ここで、大逆転が起こり、次に天皇を引いた人が、捨て札を、全部もらえます

積んだ札が無くなったら終了で、手持ちの札が一番多い人が、勝ちとなります

以上は、アロアロヨシさんの場合で、地方によって、仲間によって、いろんなルールがあり、やり方が異なります

新たに、その場だけのルールを作って遊ぶのも、面白いと思いですよ

百人一首の深遠な世界に入る、最初のとっかかりとして、坊主めくりで、子供たちに興味をもたせては、いかがでしょうか

アロアロヨシさんが、百人一首の中で、一番最初に覚えたのは、ジョーカー・蝉丸の、この歌でした


和歌の意味は、こうです、、、

「これがまあ即ち京から地方へ行く者も地方から京へ帰る者も別れ別れしては、互いに知る者も知らない者も逢うという、逢坂の関なのだな」 [2]

百人一首10蝉丸


「散らし取り」の遊び方は、

ある日、坊主めくりばかりやっている、アロアロヨシさんに業を煮やしたお袋が、本当の遊び方を教えてくれました

いやあ、びっくりしましたねえ、お袋が、「こんな風に遊ぶんだよ」と、教えてくれたカルタ取り

広げるのが、なんと、絵札ではなく、字のみの札でした

字札なんか使ったことがなくて、気にもしていませんでしたが、なんと、そこには、途中からの歌 (下の句) しか入ってなかったのです

教えてくれたのは、「散らし取り」という遊び方で、字札を全てバラバラに、表向きに置いて、お袋が読み手になり、字札に書いてある歌を読んだ時に、それを取るというものでした

これです!
散らし取り


字札を取るという、遊びが、子供心につまらないと思い、それ以来、高校一年になるまで、やることはありませんでした


♪ 江戸時代の狂歌 ♪

江戸時代には、小倉百人一首の全てに、沢山の替歌 (パロディ) が創作されました

そのうちの1つ

「これやこの 行くも帰るも 忘れては 何にも知らぬ 大酒の過ぎ」 [3]

解説: 大酒飲みなら、経験あり

目が覚めたら、、、
①自分の家で寝ていた
②友人の家で寝ていた
③知らない女の家で寝ていた (これ、最悪)

あなたは、どの経験がありますか?

「どこをどう帰ったやら、とんと分らぬ」なんてね


脚注:
[1] 蝉丸(せみまる)
平安時代初期の人、詳細不詳、琵琶の名手
京都市山科区と滋賀県大津市の境、逢坂山に庵を構えた
現在、名神高速道路「蝉丸トンネル」として、その名称が残る

[2] 出典: 「百人一首の探求」中島悦次著 有朋堂

[3] 出典: 「百人一首地口 (じぐち) 絵手本」 嘉永五年(1852年)刊


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