アロアロヨシさんの♪百人一首ブログ
その4/100首小倉百人一首の七〇 良暹法師 (りょうぜんほうし) [1] の詠まれる
千絵崇石絵 秋の宴(あきのうたげ)Twilight in Autumn [2]
「さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮」 [3]
(さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづこもおなじ あきのゆうぐれ)
「秋の夕暮」が、入っている歌は、もう一つありましたね
2015年11月17日アップのブログ
「むら雨の 露もまだ干ぬ 真木の葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ」は、むすめふさほせ、1枚札の1番目今回の
良暹法師の歌は、一枚札「むすめふさほせ」の、5番目です
1. む: むらさめの・・・きりたちのぼる
2. す: すみのえの・・・ゆめのかよひぢ
3. め: めぐりあひて・・くもがくれにし
4. ふ: ふくからに・・・むべやまかぜを
5. さ: さびしさに・・・いづこもおなじ6. ほ: ほととぎす・・・ただありあけの
7. せ: せをはやみ・・・われてもすえに
歌の意味は、こうです、、、「あまり寂しいので、庵を立ち出で、ながめわたすと、どこも変わらず寂しい秋の夕暮であるな」 [4]

たいへん意味のとりやすい歌ですが、そういう歌は、かえって、解釈がふくらんで、いろいろな意味にとれるものです
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アロアロヨシさんの♪なるほど別解釈* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
ほとんどの訳が、「寂しい秋の夕暮れであるなあ」としていますが、下の句には、寂しいという言葉は、入っていません
「さびしさに・・・」寂しいのは、一人住まいの庵のことで、その庵を出て、ながめたら、秋の夕暮の景色が、眼前に広がっていたという意味なのです
晩年まで、修業を積んでいた、当時の比叡山は、全国から大勢の修行僧が集まって、たいへん賑やかでした
その比叡山を出て、大原の自然の中に、ひとりで庵を構えたのです
確かに、庵の暮らしは、寂しかったのでしょう
「・・・宿を立ち出でて ながむれば・・・」ところが、外へ出てみると、一面が秋一色
青空高く、雲がたなびき、紅葉で山々が赤と黄色に色づき、夕焼けにカラスが「三つ四つ、二つ三つ」、虫たちの求愛の声、田畑には秋の実り、そこには、大自然の生命が躍動していたのです
「・・・いづこも同じ 秋の夕暮」大原も、京都も、比叡山の景色も、みな同じ、このように、躍動感にあふれた、秋の夕暮でした
アロアロヨシさんは、これが実感ですが、家内は、「秋の夕暮は寂しいから、いやだ」と言っています
「百人一首の探求」訳、
「どこも変わらず寂しい秋の夕暮」の世界ですね
ですから、秋の夕暮れには、いつも、
背中合わせの二人なのです
2015年9月18日のブログも、ご覧ください
「秋の日は釣瓶落とし (あきのひはつるべおとし)」、もう来週は、秋分ですね江戸時代の狂歌江戸時代には、小倉百人一首の全てに、
替歌 (パロディ) が創作されました
「さびしさに 書物取り出で ながむれば 昔も同じ 秋の夕暮」永田貞柳 [5]
意味:「あまり寂しいので、本を出して読んでみた、昔の人も同じく、読書した、秋の夕暮なんだなあ」、秋の夜長は昔も今も、読書の秋ということでしょうか
脚注:
[1]
良暹法師(りょうぜんほうし)
生没年不詳
比叡山延暦寺の僧侶で、祇園別当となり、その後、大原に隠棲、晩年は雲林院に住んだといわれている
[2] 出典:
「歌仙絵 百人一首」千絵崇石著千絵崇石画伯により描かれた、百枚の歌人の絵に、日本語と英語で題名が付けられ、歌の解釈、歌人親子関係、歌人年表が付録、表紙カバーが美しく装丁された、愛蔵版、百人一首の本です

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百人一首絵 説明と解釈ホームページ[3] 「後拾遺和歌集」巻四 秋歌の上333
[4] 出典「百人一首の探求」中島悦次著 有朋堂
[5] 「永田貞柳 (ていりゅう)」は、百人一首を全て替え歌で詠んだ、江戸時代、大阪の狂歌師、「鯛屋貞柳」とも号す
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